2023年度受賞作品
COMMENT
審査講評

【審査員】
コピーライター
照井 晶博先生
3年にわたるコロナ禍にひと区切りがついた。なにもかもが元通りになったわけではないが、マスクをはずす人は増えた。
駅や電車にも人が戻ってきた、と感じる。5類移行後、交通広告の出稿量も回復傾向にあるらしい。
わたしたちの世界では「プレゼン」という言葉が流通している。広告主への広告企画の提案を意味する言葉。もちろん自分も使う。ただ、正直なことを言うと、「提案」という言葉のほうが好きだ。広告というものが、社会への、人への、いい提案であってほしいと思うから。
カート・ヴォネガットが叔父について書いたエピソードを思い出す。ある夏の日、叔父とふたり、木陰でレモネードを飲みながら話していると、叔父がこう言ったのだそうだ。
“If this isn’t nice, what is?”
「これがしあわせでなきゃ、なにがしあわせだっていうんだ」
広告は幸福の提案であってほしい。単にこの商品を買ってください、好きになってください、ではなく。 こんなふうに考えてみたら、捉えてみたらどうでしょう、という提案であってほしいと思う。「これがしあわせでなきゃ、なにがしあわせだっていうんだ」と、ささやかななにかを見つけ、気づかせてくれるものであってほしい。 なんでもない夏の日、木陰で飲むレモネードがもたらすささやかな幸福に気づき、ヴォネガットに伝えた叔父さんのように。
広告は幸福の提案であってほしい。そう願うことは、もはや生成AIが目覚ましい進化をとげる時代にはそぐわないロマンティシズムなのだろうか。伝えるべき情報を効率よくターゲットに当てられたらそれでオッケー。広告なんてそんなもの、という割り切りでつくられた広告でいいのかな? AIに聞いてみたくもなる。
25年くらい前の話だ。ぼくは社内の違う局のクリエイティブディレクターに呼ばれ、その人とはじめて仕事することになった。若者によくある程度に生意気だったぼくは、その人の出す企画やコピーがどうしてもいいと思えなかった。最初は我慢していたのだが、これをよしとしてしまうと制作者として大切ななにかを譲り渡してしまう気がしたぼくは耐えきれずに言ってしまった。「そんなふうに言うのは手前味噌ではないでしょうか」と。当然、場は凍る。しばらくするとCDが言った。「広告というものは、広告主がお金を払って媒体を買っています。広告主が買った媒体で、何を言おうと広告主の自由です。僕の言うことは間違ってますか?」と。彼は怒っていた。
今回の受賞作は、いい意味でバラバラで、ひとつの傾向を語ることは難しい。しかし、「自分たちはこう考えるんだけど、どう思います?」とか「こういうアイデアって素敵なことだと思ったんですけど、どうですか?」と語りかけてくるように、ぼくには思える。駅や電車やあるいは街で。広告とたまたま出会い、見てくれる人へのサービス精神を感じる。別な言葉で言い換えるなら、たぶん敬意になるだろう。
今年度の応募総数は1212作品!
全6部門より38作品が選出されました!